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世界統一法準というものを考える時期

2011.10.21

先日、ロサンゼルスからの帰りに突然乱気流に呑み込まれ、平穏なまどろみから目覚めたことがある。そして気がついたのである。静かに人生を送りたいと思っても、この世に野放しになっている危険はくさるほどある、とね。人類が生きる、生きてゆく、というのは、己の生身をそういう危険にさらしながら刻一刻と延命することにほかならない。すきあらば災いが入り込み、凶事がうねる大海にたゆたう漂流者。それが人類の現実ではないか、とね。

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それじゃあまりにも無防備だから、というので一定の枠をつくり、国民を守ろうというのが「安全基準」である。人間を守る基準なのだから、本来それぞれの国によってそのハードルの高低差のあろうはずがない。が、現状は全然違う。その国というより、その国の産業の都合により「安全基準」はいとも簡単に引き下げられ、ねじ曲げられているのである。それは日本の多くの自動車メーカーの方針に顕著にあらわれている。アメリカ向けには考えられる限りの万全を図っての車だが、東南アジア向けでは、考えられる限りのとっぱらい車なのである。もうそろそろ、車にしても、住宅にしても、世界統一法準というものを考える時期に来ているのではないか。